Jan de Cock at MoMA

先日、再びMoMAへ行き、Jan De Cock氏のDenkmal 11展を体験しました。
この日はart historianの方のツアーがあり、簡単に解説をしていただきました。
解説はシンプルなもので、何となくショー見て感じたものを言葉にしてくれたので、ツアー後はなにかしっくりくる感じがしました。自分一人では気づかなかった点としては、ここに隣接してあった写真の常設展にEadweard MuybridgeやBernd and Hilla Becher等の彼の作品に影響や関連のある作品があったこと。これはぐるっと写真のセクションを廻ると彼の作品のヒントにもなり、彼のテーマのひとつでもある美術史、写真史の文脈を感じられるとても素晴らしいキューレートの仕方だと感じた。

彼の作品は初めの訪問ではとても面白いということはビシビシと感じられるのだが、自分の中で消化できない感覚が拭えなかったのだが、今回の訪問では何がそんなに僕を惹き付けるのかが多少なりとも理解できた。まず、空間、時間を破片で多角的な視点でとらえ一度構造を分解したものを改めて構築することでその体験、視点を考えさせるというものにどうも最もひかれたようだ。彼はインタビューの中でアイディアがフォームを作るのでなく、フォームが考えさせるというようなことを述べているが、それはまさに僕が前作”the scene in front and behind the eyes"でテーマとしたことを数段上の洗練されたレベルで実現している。一見したスタイルは違うようだが、自分にとても近いアーティストに感じた。だからこそ、すごく悔しくもあり、嬉しくもあり、いろいろと思考的にも感情的にも喚起させられた素晴らしい体験だった。

僕は芸術にほんの3年前までは全く疎く、興味も知識もさほどなく、学校の授業や書籍を通して勉強してから現代美術の面白さに気付いたというところもあり、コンセプチュアリズムが幅をきかせるこの場では作品の純粋な体験だけでその作品の面白さを存分感じることができないという残念にも感じていた。それはきっと僕だけでなく、たくさんの一般の方もそう感じる人は少なくはないのではないかと思う。実際に一緒に美術館に行って現代アートを見ると、何がなんだかわからないという人や学術的なことがわからないからと自分の感性を閉ざす(または恥ずかしがって素直に味わえない)人は多い。実際に僕も全くそうだった。
しかし、今回は純粋な体験がとても素晴らしいものだった。これは純粋に体験しなければいくら知識で補ってもだめだという感じだった。学校ではギャラリーや美術館で本物を実体験するように勧めるが、こんなにもその実体験が素晴らしいと思うことは個人的にあまりなかった。これは本当に自分で体験しなければいけないのだ。これこそアートの存在意義だと思う。こういったアートはカタログや解説書のなかには存在しないのだ。何を今更と思う人もいるだろうが、これは僕に撮ってとても大事な体験で、希望を持たされるものであると同時に自分の挑戦しようとしていることの難しさを実感させるものだった。

驚くことにこのアーティストはまだ30代前半で、NYでの個展は今回が初めてらしい。
こんなに純粋に素晴らしいものを評価できるMoMAとNYという場所には改めて驚かさせられる。
大学院に行っている2年間はこのNYの中心から遠ざかってしまうけれども、また舞い戻ってくるために向こうでがんばろうと思う。